2012-09-09

錦糸町・人形焼「山田家」取材日記

創業60年。
錦糸町の駅前商店街にある、老舗の人形焼のお店「山田家」。


千葉の農家の四男として生まれた先代。
上京して、粉や砂糖、タマゴを卸す仕事に従事していた。

きっかけは、浅草の得意先の人形焼きのお店。
(材料の)仕入れがそれほど多くないのに、
すごく繁盛しているのを見て
「これだ」と思った先代。
一から人形焼を志す。


卸業者なので最高級の材料が手に入る。
極上の材料を使って安く売る。
下町だから、大きいのを売る。

先代は最初から
「ただ売っててもダメ。浅草には浅草寺があるし、太鼓橋があるけど
錦糸町には何がある?」
付加価値を付けることを考えていた。


そこで、その当時の民俗学者/漫画家の
宮尾しげを先生に相談する。
そして見つけたのが「おいてけ堀」を
はじめとする本所七不思議の言い伝え。

先生はパッケージのイラストまで書いてくれた。それを見れば、七不思議のエピソードが一目瞭然で分かる。
そのパッケージは今も現役。



「先代はね、先見の明があったんですよ。いまでこそ、『物語』をくっつけて商品を売ろうとしてるけどね。今から60年前に既にそんなことを考えてた」
と、二代目・山田昇社長は語る。




おいてけぼりの『物語』のおかげもあり、
「うまい、安い、大きい」山田家の人形焼きは順調に売れる。

人形焼は職人があぐらで座り、
半日でも一日でも同じ姿勢でずっと焼き続ける非常に厳しい仕事。

「このままじゃ、職人が来ない」と痛感し、機械化に踏み込んだ。

機械導入のおかげで生産高は飛躍的に
伸び、それに伴い売り上げも急成長。
近年では、パティシエの服部先生にも認められる程、評判に。

小さい頃から好奇心が旺盛だった山田社長。
「1つのことに集中して没頭することができない代わりに、
色々なことに広く浅く関わることが好き。
色んなことを見たり聞いたりするうちに
あぁ、これってこんなことだな、と全体が見えてくる」
まさにプロデューサーの資質。
先代の経営感覚や先見の明はしっかりと受け継がれている。

山田社長は、墨田の様々な地域活動に参加し、多くの肩書きを持つ。
「お店が繁盛するのは地域があるから。
その地域に、少しでも還元しなければ。」という信念がある。


錦糸町のイメージアップのために河内音頭盆踊り大会や、
地元の天神祭等で自ら指揮を執る。
「イベントもお店と同じでね、面白いな〜、と思ったらまた来るんですよ。
だから如何に面白いイベントを組むか。それだけですね。」
そのイベントも大きく貢献して、錦糸町のイメージはぐっと変わった。

「錦糸町は色々な楽しみ方があっていい。
元々は映画の町だった。今は映画はちょっとあれだけど、
インド料理屋もあれば、タイ料理屋もある、居酒屋も寿司屋もある。
色々な楽しみ方を味わいに、錦糸町に来てくれて、
面白かったなぁ,また来よう。って町になったら良いですね。」


ものづくりの伝統や昔ながらのコミュニティを守りながらも、
新しいことを受け入れていく。
良い意味でのこだわりのなさが、錦糸町に人を寄せ集めているのかもしれない。


2012年9月28日。
山田家は、お隣の敷地にお店を移転し、
フルリニュアルでオープンする。
「新しいお店に移ったからって、味が落ちたとか、絶対に言われたくないんですよ」
と山田社長。

地域を愛し、時代の変遷の中で生まれ変わりながらも
味と伝統はしっかりと守る。
老舗の未来は明るい。
2012.9.9
榎田智子